Interview
プラスPMの人々

ASEAN地域に飛び込み、
組織体制をゼロから構築。
2007年入社 Y.M.
芸術学部建築学科卒業 設計事務所出身
Career
入社までの道のり
- 1999年
- 芸術学部建築学科卒業、設計事務所2社で意匠設計に従事
- 2007年
- プラスPM入社
Project
入社後に関わった
主なプロジェクト
- 2008年
- サムティ十八条 基本計画、実施設計、現場監理業務
- 2008-2010年
- ウィズフィール京都山科 基本計画、実施設計、現場監理業務
- 2011-2012年
- MAXVALU 知多 基本計画、実施設計、現場監理業務
- 2014-2015年
- AEON KOTA BAHRU 営業、CM業務
- 2015-2016年
- SAKAMOTO NEW FACTORY 営業、PM業務
- 2018-2019年
- TOYO TIRE MALAYSIA Phase2 営業、入札評価業務
- 2019-2020年
- AJINOMOTO NEW FACTORY 営業、プロジェクト戦略・方針策定業務
- 2019-2021年
- BBR2 2Project 営業、プロジェクト戦略・方針策定業務
設計に閉塞感を感じ、
技術を価値に変えたいと
プラスPMへ。
設計事務所2社を経て、プラスPMに入社しました。1社目でマスタープランの作成や企画を、2社目で意匠設計を主に担当し、建築設計の実務を幅広く身に付けました。そして30歳を前に設計という仕事に閉塞感を感じ、転職を考えました。図面を引ける人間はごまんといます。建築の業界で生き抜くには、差別化が必要だと思いました。設計業務を通じて身に付けたスキルを活用できる仕事を探していく中で、CMという仕事に出会いました。そしてお客様の目線で建設プロジェクトをサポートするという方針に共感し、ここならば自分の技術を価値に変えられるのではないかと、プラスPMへの入社を決めました。

海外で挑戦したいと、家族と共にマレーシアに。
入社当時のプラスPMは設計部とCM部に分かれており、私は設計部に配属されました。当初はマンションや老人ホームの設計を中心に担当し、2012年に商業施設を扱う部門へと異動しました。その頃、日本の大型商業施設のASEANへの出店ラッシュがあり、そうした動きをサポートするCM業務への需要が高まっていたため、プラスPMはマレーシアに拠点を設けることになりました。商業施設がわかる常駐スタッフが必要だと言われ、自ら手を挙げました。学生時代の友人に海外経験者が多く、また私の妹も留学や海外勤務の経験を持っていたので、海外で働くというのは身近な選択肢でした。自宅を購入し、子供が生まれるというタイミングだったのですが、家族も理解を示してくれたので、思い切って挑戦しました。

マレーシアで現場管理体制を
ゼロから構築する。
2013年9月末、マレーシアに移り、現地法人の責任者になりました。ASEANと日本では建設会社の技術や仕事の慣習が大きく異なるので、当初はかなり苦労しました。特に苦労したのは現場管理体制の構築です。日本の場合、建設会社の技術力が高いので、現場のマネジメントにそこまで手がかかりません。しかしマレーシアでは現地のゼネコンがすべて指示通りに進めてくれるわけではなく、我々が乗り込んで指示を出さないとスムーズに現場が動きません。一方でお客様は日系企業が中心なので、日本レベルの品質を期待されます。そこで現場に強いスタッフの採用や育成を進め、現場をしっかりマネジメントできる組織や管理体制を構築していきました。
これから伸びる、ASEANでのCM、PM需要。
マレーシア現地法人は、日本人、マレーシア人、フィリピン人という多国籍のエンジニアから成り立っています。主なお客様は、日系メーカーや商業施設のデベロッパーです。われわれの現場管理体制が構築できてくると共に依頼も増え、現在はマレーシアのみならず、インドネシアやベトナム、さらに東ヨーロッパなどさまざまなエリアのプロジェクトに対応しております。今後需要はさらに高まると感じます。この仕事で大事なのは、コミュニケーション能力です。特にASEANでは母国語も慣習も異なるがゆえの誤解やミスが起こりやすく、認識のすり合わせを徹底するよう心がけています。そして海外で働く場合は、仕組みが整っていなくても自ら打開していくパワーが何より重要です。私自身も自発的で突破力のある社員と共に働きたいと思っています。