お客様の声病院
地域を守り続けるために。
コンパクトで機能的な新生・大分中村病院に迫る
社会医療法人恵愛会大分中村病院
社会医療法人恵愛会大分中村病院は、「日本パラリンピックの父」とも言われる故・中村裕医師によって創設された、本格的な医学的リハビリテーションを行う病院です。また、大分市街地に立地する民間救急病院としても、長期に渡って地域医療を支えてきました。しかし、病院の規模を拡大するにつれて繰り返してきた増築により院内の動線が悪化。それと共に老朽化による耐震性への懸念が出ていました。一方で、経営基盤の強化が課題であり、新病院を建設するにも、すぐに移転や増築等の手段が取れる状態ではありませんでした。
そこで、既存施設の改善、敷地内増築の可能性、将来的な移転新築時の要望などを考慮し、予算に応じた複数の対応案をプラスPMより提案。検討を重ねていただきました。経営基盤の強化が見通せるようになった段階で、経営のさらなる効率化と施設整備を並行して進めることを決断。地域医療への貢献を長期的に継続するため、地域に求められる病院の姿を議論し、そのビジョンを新病院整備の基本構想に盛り込みました。
地元銀行である大分銀行や地域経済活性化支援機構(REVIC)などと協力し進められた本プロジェクト。地域の健康を守る病院が、どのように未来に向けて構想を打ち立てたのか、そして完成した病院はどのように地域に貢献しているのか。事務部長の梅野 裕昭氏と、経営支援課 課長の平柗 拓也氏に伺いました。
患者さんを元気にして、愛する大分で生き生きと過ごしていただくために
社会医療法人恵愛会大分中村病院
事務部長 梅野 裕昭 様
2024年1月、大分中村病院は新たなスタートを切りました。大分市街を流れる大分川。その河口を一望できる立地に、24の診療科目と260床の病床を備えた新病院で、診療を開始したのです。
今回の新築移転プロジェクトにあたり、病院は新たなシンボルとして「リバイタルマーク」を定めました。Oita Nakamura Hospitalの頭文字「ONH」の文字でできた人間のマークには、「人を再び生き生きさせる」という大分中村病院の志が込められています。
大分中村病院は、「日本パラリンピックの父」とも呼ばれ、障害者の社会復帰に一生を捧げた中村裕医師によって、1966年に誕生しました。これまで、全国に先駆けて本格的なリハビリテーションを行う病院として、また、救急病院として大分市周辺の地域医療を支え続けてきました。
社会医療法人恵愛会大分中村病院
経営支援課 課長 平柗 拓也 様
開院時は65床からスタートしましたが、たくさんの患者さんを受け入れたいという思いで増築を繰り返しました。その結果、建物は4つの棟に分かれ、それぞれに高低差があったり、動線が長くなったり、といった弊害が出ていました。長い年月をかけて増築してきたので、古いエリアの通路は現在の基準よりも狭く、スタッフステーションからの院内の視認性も悪いなど、患者さんの安全確保に課題を感じていたそうです。加えて、老朽化が進みます。どこかのタイミングで病院を新しくしないといけないフェーズに差し掛かっていました。
医療を継続せよ! 専門チームを立ち上げて経営基盤の強化に取り掛かる
プラスPM
左:マネジャー 伊藤 正毅
右:シニアコンサルタント 日野 大助
しかし、新病院を建設するには莫大な資金が必要です。当時の大分中村病院は経営基盤を強化する必要に迫られていました。そこで、大分銀行、地域経済活性化支援機構(REVIC)、そしてプラスPMなどの専門組織を集い、病院の経営基盤の強化と移転新築プロジェクトを2018年にスタートしました。
「まずは、REVICとプラスPMに相談を開始しました。REVICについては、基本構想の策定と各部門の方針の策定、また、新病院の資金計画の部分でサポートしていただきました。プラスPMには基本構想を具体的に建築計画や施設計画に落とし込むサポートや、実際に建設プロジェクトを推進するノウハウを教えていただきました。また、大分銀行については新病院計画推進人材ということで、常勤の職員を計2名、トータルで4年半ほど出向派遣していただきました。」(平柗氏)
こうして、作られた新病院建設プロジェクトのコンセプトは「二次救急とリハビリテーションの強化」でした。
「病院の経営状態と病床稼働を安定させるために、病棟の改変を行いました。急性期病床の一部を、回復期リハビリテーション病棟と地域包括ケア病床に分けて、回復期病床の割合を増加させ、経営の安定化を図りました。また、新病院ではリハビリテーションをさらに強化する計画にし、理事長や院長が地域の他の医療機関を訪問し、新病院の構想を説明してリハビリ患者の受け入れについて連携を深めていきました。」(平柗氏)
さらに、病院側は院長直下の経営戦略部を組織し、内部で働くスタッフの意見の吸い上げやプロジェクトの理解促進に奔走しました。元々総務だった平柗さんをはじめ、システムエンジニアや広報など様々な人材が集い、チームで就労後に勉強会を行ったり、専門書を読んだり、様々な努力を重ねて一丸となって新病院の基盤づくりに尽力したといいます。
「私たちが行ったのは、各部署が思い描く病院のあり方や働き方を実現するためのサポートです。これからの時代は、上に言われて、言われたとおりに動けばいい時代ではありません。各部署が、自分たちの想いや考えを実現するために伴走するのが、私たち経営戦略部の役割でした。」(平柗氏)
「今回のポイントの一つに、新病院では"コンパクトかつ機能的な病院"を目指していた点があります。自分たちの強みや地域のニーズに合わせて機能を集中させて、それを適切な規模で行うという基本構想を打ち立てました。しかし一般論として、建物が新しくなるなら規模も拡大するに違いないと思うものです。そこで、まず院内に対して理事長、院長がしっかりと構想を語り、そのうえで経営戦略部のメンバーが丁寧に現場に説明を行いました。」(梅野氏)
こうした努力の結果、院内の関係者の理解も進み、プロジェクトはスムーズに進行していったとのことです。
プラスPMは、病院が目指す姿を建築計画に落とし込み、限られたコストの中で理想の病院をつくる支援をしました。たとえば、プロジェクトの整備手法では、市況の高騰を見越し、設計を進める中で最適な発注方式を選択できるようなものを提案しました。実際、市況が不安定なことからECI方式から設計施工分離への方式変更を行い、結果として、コストが予定額に収まり、高品質な建築物を完成させられました。
明るく、開放感があり、人を再び生き生きさせる病院が誕生
新病院は、とにかく明るくて、開放的な雰囲気のある病院です。大きなリハビリテーションルームが6階にあり、大分川や別府湾を眺めながらリハビリテーションに取り組むことができます。お話を伺った日も、たくさんの患者さんがリハビリテーションに励んでいました。移転新築プロジェクトのスタート時は80名だったセラピストも新病院に向けて徐々に増員し、現在は100名程度が患者さんのために働いているそうです。
旧病院リハビリテーション室
新病院では広く、明るく、開放的なリハビリテーション室を実現
別府湾に注ぐ大分川を眺めながらリハビリに励むことが可能となった
「できる限り、リハビリテーションを行うのに良い環境を整えようと工夫をしました。7階には屋外に出られるテラスもあって、セラピストの同行があれば、屋外でリハビリを行うこともできます。なるべく環境が良いところで、モチベーション高くリハビリに取り組めるようにしています。実際に患者さんからも"景色がいいね。" "気持ちがいいね。"等の声をいただくので、リハビリを強化するという基本構想からブレずに取り組むことができたのではないかと思います。」(平柗氏)
「街中の限られた敷地内にこれだけのリハビリテーション室を準備できたのは、本当に良かったと思います。また、リハビリ室に限らず、病院全体を使ってリハビリに取り組めるようにもしています。」(梅野氏)
また、スタッフステーションも工夫されています。旧病院ではスタッフステーションから各病室の視認性の悪さが課題となっていましたが、新病院では病棟の中央にスタッフステーションを設置し、柱などの障害物を可能な限り撤去しました。
執務スペースにも工夫を重ねました。医局を含めた多くの部署のスタッフが、壁のないワンフロアの執務スペース「Nakamura Work Place」に集まり、医師や看護師、事務方が同じスペースで働いています。一部のエリアには病院ではまだ珍しいフリーアドレスを導入し、その日の気分や業務内容によって、働く場所を自由に変えられるようにしました。必要なときに必要な部署に声がかけやすく、風通しの良い環境で医療に従事することができるといいます。
最後に、この日はお話を伺えませんでしたが、プロジェクトチームをまとめていた副理事長である田村様からも後日、下記のようなコメントをいただきました。 「院内で考えた基本構想について、建築側のアプローチから蓋然性を高めるアドバイスをいただくことができたのは本当に良かったです。(施工段階でも)何かに悩むこと、息詰まることがあったときに、基本構想に立ち返ることで、前に進むことができました。建築に関し、知らないことばかりでしたが、プラスPMさんからたくさんのご提案をいただけたことがよかったです」(田村様)
経営戦略部のメンバーとして院内の調整に奔走してきた平柗さんは経営支援課に異動し、新病院開業後も、病院のあらゆる職種のスタッフから質問や相談を受ける存在になっています。
梅野さんは事務部長として引き続き、病院全体を考える視点を持ちながら、これまでの経験を活かして「人を再び生き生きさせる」という大分中村病院の運営を支えています。
左:柱を無くすことで広い視野を確保し、看護師の働きやすさを実現したスタッフステーション。
右:職種、職位の垣根を越え誰でも使用可能な『Nakamura Work Place』。
新病院になって、地域の他の病院からの紹介患者数も急患の受け入れも増加し、さらには新病院ということで就活中・転職活動中の方たちからの反応も格段に上がり、リクルーティングに好影響を及ぼしているとのこと。
新生・大分中村病院は、これからも一丸となって地域の医療を守り続けていきます。
担当者から
「地域医療」の土台をつくるお手伝い
プラスPM
マネージャー
マネージャー
伊藤 正毅
お客様の長年の思いであった病院移転計画に基本構想段階から参画させていただきました。
建設費の高騰やコロナ禍という厳しい環境下においても、無事に新病院が完成したことは、病院様をはじめ、設計者や施工者など関係者の努力と協力の賜物であると考えております。
当社は、新病院のコンセプトである『コンパクトかつ機能的なまちなか病院』を実現するため、精緻な計画策定に尽力致しました。また、施工者選定においてはVE付き総合評価方式を採用し、予算内での発注と医療機能の最適化に貢献できたかと考えております。
私自身もこのプロジェクトを通じて多くの貴重な経験をし、特に対話の重要性を改めて認識いたしました。皆さまのご支援とご協力に、心より御礼申し上げます。
プラスPM
シニアコンサルタント
シニアコンサルタント
日野 大助
足掛け8年、長きにわたるご計画、本当にお疲れ様でした。
経営戦略室の皆様はじめ、病院の皆様と密なコミュニケーションをさせていただけたことがこの成果につながったと認識しています。
建設地の選定から始まり、基本構想策定においては多くの関係者のご意見をいただき、
多様な選択肢の中から皆が納得するベストな回答は何なのかを納得いくまで議論できました。
コロナ流行や物価高騰など困難に直面した際は、発注方式変更を行うなど柔軟に意見を取り入れていただき、結果として、スケジュール通り、予算内での建設という素晴らしい成果となりました。
新病院の想いである「市民のための病院」を実現し、地域医療の発展に大きく寄与することを確信しております。
建築概要
工事名称 | 大分中村病院 移転新築計画 |
---|---|
事業主 | 社会医療法人恵愛会 大分中村病院 |
工事場所 | 大分県大分市舞鶴町 |
敷地面積 | 4,662.67m2 |
建築面積 | 2,593.78m2 |
構 造 | S造(一部RC造) |
階 数 | 地上7階、地下1階 |
延べ面積 | 15,531.44m2 |
コンストラクション・マネジメント | 株式会社プラスPM |
設計監理 | 株式会社横河建築設計事務所 |
施 工 | 株式会社フジタ |
工 期 | 2022年2月~2023年10月 |