医療法人財団 立川中央病院
木村政人 様立川市で一、二を争う歴史ある病院の建替えは、狭い敷地で病院を休まず稼働しつつ、分割してつくっていくという難工事。
解体工事では聴診器が使えないと苦情を受け、大震災の影響による建設費の高騰と戦い、遂に病院を一日も休むことなく完成にこぎつけた。
日本CM協会の「CM選奨」を受けた名プロジェクトである。
木村讓二(以下、木村):東京の熱心な病院経営者の方々が開催する早朝勉強会でCMについて私がお話しさせていただき、その勉強会に参加された前理事長(木村篤人氏)から「おもしろい。そんな仕事が世の中にあるのか」と言っていただいたのが最初の出会いです。
木村:とにかく敷地にゆとりがない。理想をいえば、病棟がスポッと入るくらいの広さの駐車場があればいいけれど、敷地がなかったので、部分的な建替えの連続で進めるしかない。
それから、前面道路が狭いので、大型車両が入らない。また、隣地周辺の住宅が迫っているので、地下工事するにも土留めが非常に大変。その上、敷地をさらに広げるための土地の買収も必要。かつ、病院経営を続けながら、病院の施設を使いながら、その間患者さんが他所の病院に行かないようしたい。売上も落としたくない。色々な意味で難易度の高いプロジェクトでした。
木村政人理事長(以下、理事長):これだけの工事をするにあたって、会議の回数は結果的に少なく済んだのではないでしょうか。それは逆に言えば、われわれ素人だけで会議をいくらやっても、進まない。専門の目を持った方がいてくれたおかげで、決まるべきことがスムーズに決まっていったということです。
理事長:以前の設計事務所と直接打ち合わせをしていたときは、出された図面を説明されても、そのまま鵜呑みにするしかなかった。医療ばかりやっている人間が図面を見ても、こまかいところまで目がいかない。疑問点が浮かんでこない。ただ、完成図が出来てくるにしたがって、たとえば手術室の天井高とか、実際に医療をする立場からはおかしいところが見えてくるようになった。私は父(前理事長)がそういうところでモヤモヤしていたのを知っていました。このまま建築を続けて大丈夫なのか、と。その点、プラスPMさんにお願いしてからは、われわれの目的さえしっかりしていれば、あとはそれに合うよう誘導してくれるし、的確な意見ももらえました。
森本:特に工事中にベッド数(病床数)を減らさないようにするという経営的な発想は、設計事務所は気付きにくい。そういった部分を、設計を進める上でも常に意識してもらうようにしました。また、救急で搬送されてくる患者さんや、ご遺体のルート等、工事中の制約条件が多い。それでも病院機能をちゃんと成立させていくような計画を立てるのに苦心しました。計画段階で色々なケースを皆さんと共有していましたので、あとは大体想定範囲内でできました。
菊地:いずれにしても非常に難しい工事でした。最初に工事した駐車場は、土台がすごくしっかりしたコンクリートで、そこの破砕をしたときはものすごい音で、すぐ隣の内科では聴診器が使えない。周辺からも何度も苦情が来た。音、振動、粉塵などのクレーム。それらは、さきほど森本さんが言われたように事前に想定して、周知する。聴診器が使えないのはさすがにまずいので、その時は工事を止めます。工事関係者にもそれを理解してもらう。外来が一番多い時間帯にも工事を止める。また、近隣との間では時間は夕方5時までと制限されます。そうやってしのいだ。綱渡り状態でした。
菊地:そのときはまだ建設会社が決まっていない準備段階でした。ただ、見積がもう見えてくる。震災復興の需要で、工事に携わる人を安定的に確保できるか。契約金額は高騰するだろう。そうしたなか、森本さんたちは、契約金額を抑えたりと相当頑張ってくれた。初期段階の契約交渉ではすごく助かりました。
森本:時間が経てば経つほど苦しくなるのはわかっていました。できるだけ当初の予定通りに、秋には着工する。そこで、競争原理を働かせて一番いい会社をできるだけ安く、入札して決めるのが、まず重要です。その後、建設費が高騰したので、コストマネジメントを丁寧に進めました。
森本:土木工事から高騰していくだろうと。でも震災後3年であそこまで上がるとは思っていませんでした。早く契約してよかったと思っています。1年も経ってからでは、参加する建設会社も減っていたでしょう。参加10社のうち4社が辞退して6社の中から決めました。4社辞退したのはおそらく、工事が難しすぎるから。いま、このプロジェクトで10社を見つけるのは難しいでしょう。
理事長:地震の際の一番の問題はエネルギー対策をどうするかでした。今後、ガスを使用するか、オール電化でいくか。東京電力の事故から考えると、電気代も高騰するのではないか。そういう状況でこの病院は何を選択するか悩みました。
森本:震災1か月後に会議を再開したとき、第一に言われたのがそのエネルギー供給の問題でした。設計がほぼ進んでいた中で、大変換をやるのかやらないのか。そのため、われわれは色々なところへ出向いて、直接ヒアリングした結果を踏まえた上で判断していただきました。立川には自衛隊の駐屯地が2ヶ所あるという特性があって、電気供給の優先順位としては早いところであり、そういうこともヒアリングした上で、今後災害が起こった時も復旧は早いはずだと読み、オール電化を選択したわけです。
森本:病院の隅にポータブルの発電機が置いてあったのを覚えています。そういった病院側のご苦労を肌で感じつつ、会議を進めていました。
森本:最後の医療法に基づく使用許可検査のときも一緒に立ち合いました。建設会社や設計事務所は引き渡してしまえば終わりですが、私どもは、病院の運営がちゃんと開始されて、軌道に乗っていくのを見届けるまでが大切な仕事だと思っています。
理事長:病院をどういうふうにつくるかということについて、プラスPMの担当者の方には、たとえば医療機器の展示会に一緒に出向いてご意見をいただいたり、医療のありかたにまで踏み込んで思いを共有していただきました。
私自身は医療のことしかわからない医者馬鹿ですが、この難工事をよく、一日も病院の診療を休むことなく安全にやりとげていただいたと感謝しております。
理事長:Ⅱ期工事が終わって、Ⅲ期の解体が始まった頃です。全体はほぼ出来ていましたが、最後の駐車場と玄関だけが残っていました。病院の顔ができる前に亡くなりました。秋の竣工まではなんとか、と思っていたようですが、病状が進んで悔しかっただろうと思います。
理事長:まず、職員の意識が変わりました。また、従来からの患者さんにも新しい患者さんにも「きれいでいい病院だ」という声をいただいております。新しくなってからは、外来の患者さんも、右肩上がりに増えています。
木村:非常に難易度の高いプロジェクトで、完成できたのも、理事長と菊地さんに院内の調整をしていただいたからこそです。あらためて御礼を申し上げたい。また、このプロジェクトは、うれしいことに、日本コンストラクション・マネジメント協会から「CM選奨」をいただきました。私どもとしても大変光栄です。色々な意味で思い出深い仕事です。
理事長:今後も変わらないのは、地域の病院として、立川市のために、皆さんの健康を維持して、幅広く、奥行きのある診療を整えて、地域貢献していきたいということですね。
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